更新日:2024/09/18

にへいでーびる! (Mさんへ) 

Mさん、
貴女と会う時はいつも交通機関が乱れたわね。
今年6月、それから昨年11月の時も。貴女はいずれも
30分近く遅れて汗拭き拭き待ち合わせ場所に現れました。
そんな前例があるので私は貴女とお会いするために、
かなり早く家を出ました。でも心中はドキドキでしたよ。
また交通機関が乱れるのではないかと思って。それに
その日は平日のラッシュ時、さらに乗り慣れない
武蔵野線経由で出かけたこともあって猶更緊張しました。

でも、やっぱり電車は乱れてしまったのよ。
電車に乗り込むとすぐに「車両点検のため遅延が生じてます」
との車内アナウンス、暫くすると
「この電車は南船橋駅で運転打ち切りにします」ですって!
貴女と会う時はどうしてこうなるのでしょう。
もう笑うしかないわね。



でも幸いなことに私の乗り換え駅は運転打ち切り駅の
手前にありました。こうして私が気をもみながら貴女の
処に着いたのはお式の開始時間10分前でした。
間に合って良かったです。

入り口でがっちりした喪服姿の男性が一人立っていました。
私にはすぐに判りましたよ。
貴女の長男、Nくんですよね。彼とは初対面でしたけど
貴女の面影がありました。しかし、まさかこんな形で
お会いすることになるなんて。

彼は貴女の最後の様子を語ってくれました。
家族全員に囲まれて穏やかに旅立たれたそうですね。
良かったわね。そして私の「エッセイ集」は貴女が
旅立つ2日前に届いたそうですね。彼は、私が特に
貴女に読んでもらいたかったエッセイ(P.136)を
読んで聞かせてあげたとか。Mさん、読み上げる
息子の声、耳に届いていました?

嬉しいことにNくんは私の「エッセイ集」を
全部読んだと言ってくれました。
このような取込み最中に…きっと私の本の完成を
心待ちしていた母に替わって読んで下さった
のでしょう。想像通りの優しくて思いやりのある
息子さんでした。

その本を貴女の旅立ちのお供にと貴女に近寄った時、
あまりにも多くのお手紙類が貴女の周りにあって
私は戸惑いましたよ。
結局、貴女の手元近くに置かせてもらいました。



会場は常に「島唄」のメロディーが静かに流れて
いました。貴女が好きだった歌ですよね。貴女の
二人のお子さん、NくんとKちゃんも、悲しみに
堪えながら、けなげに振舞っていましたよ。
特にNくんの弔辞は素晴らしかったですよ。
彼は流れ出る涙を拭いもせず、私たちへ、
そして貴女に向かって、こみ上げる熱い思いを
力を振り絞って語ってくれました。
貴女に聞かせてあげたかった。
いえ、きっと貴女に届いているわね。

そうそう私は初めて生の三線を聞きました。
貴女の高校時代の同級生が演奏しました。
とてもお上手でした。それから「カチャーシー」と
いう沖縄地方の躍りが始まりました。
貴女が好きだったそうですね。私は初めは
手拍子だけでしたが、周りの人たちが皆、
立ち上がり盛大に踊りだすものだから、私も
見様見真似で手足を動かしましたよ。
私の踊りを見たら貴女はきっと吹き出したわね。
「まるで阿波踊りだよ!」って。

沖縄の人たちはこうして喜怒哀楽を表現する
のね。賑やかで暖かいお別れの儀式でした。
そんな中、貴女はいつもの笑みを浮かべながら
72年間の人生に幕を下ろしてしまいました。

Mさん!今まで実に30年余、友だちでいて
くれて有難う。貴女から教えてもらった
沖縄言葉を最後に使わせて下さいね。
「にへいでーびる!」(ありがとうございました!)
           合掌
     2024年9月
  (photo by y.y: 新潟県十日町にて)

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