3月の涙 v5-70
3月と言えば真っ先に頭に浮かぶのは卒業式と桜だろうか。
そして年度末。転勤、転校が増え、当然引っ越しも多くなる。
我々が名古屋から関東に越してきたのも3月だった。
私にとっては、3月と言えば涙の月である。
もう70年近い昔の話になってしまったが、私の脳裏から
一向に去らない涙の記憶がある。
中学の卒業式から数日経った頃だった。
私は高田駅(新潟県)のプラットフォームに立っていた。
沢山の同級生たちも私を取り囲むように立っていた。やがて
電車がやってきた。私はたった一人で車中に足を踏み入れた。
空いている席に腰を下ろし、窓から手を振る友人たちを見た
瞬間、どうしたものか私の涙腺は一気に緩み、涙が溢れ出て
止まらなくなった。窓外の景色が動き出しても私の涙は
流れ続けた。
私の前に座っていた高齢夫婦が、そんな私を微笑みながら
無言で見守ってくれた。そんな彼らの優しい眼差しが
未だに目に浮かぶ。あの時、どのくらい長く電車に乗って
いたのか、まして母が待つ甲府駅まで私は電車の中で何を
していたのか。此方の方はさっぱり思い出せない。
15才の春に味わったあの号泣の意味を、私はしみじみと
思い返すことがある。あの涙は単に友人たちとの離別の
悲しみだけではなかった。むしろ涙の意味の大半は、
家庭の事情で上級学校に進学出来なかったことへの
「口惜しさ、不条理さ」に満ちていたことを。しかし、
この涙がその後の私を育ててくれたと思うと、沢山の試練
を与えてくれた父母には感謝しないといけないようだ。
あれから何十年たっただろうか。
3月になると、私は子供たちの受験や卒業式などで悲喜
こもごもの涙に出会うようになった。やがて孫たちも加わり
ますます賑やかな3月になった。
しかし、何よりも嬉しいのは、いずれも幸せに満ちた涙
であったことである。
今年も孫たちの成長に目が潤む3月を迎えた。
その3月ももうすぐ終わりそうだ。そう思っていたら最近、
むやみに目が潤むようになった。どうやら花粉症の症状らしい。
とんでもない涙が3月に潜んでいたとは知らなかった。
2024年3月
(photo by y.y : 玉川上水緑道にて)