小さなスペース v5-67
先日、朝日新聞の「声」欄に「買ってしまった5年日記」という
タイトルの投書が載っていた。投書主は85才の女性、私より
1才年上である。投書の内容は次の5年日記を逡巡しながら結局、
買ってしまったというものだった。
このくらいの年齢になると思うことは同じようだ。
実は私も年の瀬が近づくにつれて次の日記帳を悩んでいた。
私の「5年日記」も丁度、昨年12月で終了であった。
しかし昨年暮れ、デパートの書籍売り場に積まれた日記帳を
見て、さっさと今までと同じ装丁の「5年日記」を買って
しまった。その時、「3年日記」を買う選択肢は私には
なかった。今までの悩みはどこにいってしまったのだろう。
これで私の書棚には新たに4冊目の「5年日記」が加わった。
日記帳のスペースは1ページあたり5年分なので長々とした
文章は書けない。しかし、日常の些細な出来事を記すには、
このぐらいが丁度いいようだ。
しかし、この種の日記帳を買う時、自分の年齢が頭をよぎり、
はたと立ち止まる瞬間がこようなどとは思いもよらなかった。
夫が使用している「10年日記」はあと2年ほど余裕がある
ようだが、その終了後、さて彼はどんな日記帳を買い求める
だろうか。
今年から再び始まった5年日記である。
どんな記述が多くなるだろう。恐らく我々夫婦の健康問題が
多くなるにちがいない。でも旅先で出会った小さなときめきを
記す時だってきっとあるだろう。また孫たちの成長ぶりの
記述も増えるかもしれない。叶うなら平穏無事な時間の中で、
この小さなスペースと向き合いたいものである。
そして5年後、この日記帳を全部埋め尽くすと、何と私は
89才と3ヶ月になっている。いよいよ90代突入である。
その時、どんな自分に出会えるだろうか。
恐らく5年後もデパートの書籍売り場に出かけ、躊躇する
ことなく今までと同じ「5年日記」を購入して…パソコンに
向かい、今回と同じようなエッセイを書いている…。
そんな想像はあくまで願望である。
実際、5年後の自分を思い描くなんてとても困難である。
毎日、小さなスペースを埋めていけば、きっとその日の自分
に出合える時がやってくる。
そう思うと、この小さなスペースを埋める作業が実に貴重で
愛おしいものに思えてきた。
2024年1月
(photo by y.y:8年前の能登半島にて)