小さな自信       v5-60

 「皆さん、集合場所はここ、この石垣塀の前。時間は2時、
午後2時ですよ。それから夕食時の集合場所はあちらの観光
案内所の前のベンチあたり。時間は午後6時です。いいですか、
もう一度言いますね…」ツアーガイド嬢は大きな声で私たちに
念押ししてさらにこう言った。「皆さん最初に行くところの
集合場所は?時間は?それから夕食時の集合場所は?時間は?」

ツアー客たちはツアーガイドの質問を受けて声を合わせて復唱
した。それぞれの遠い昔、小学生だった頃を思い出して。
高齢者が多いツアーだとこんな様子になるらしい。何だか
微笑ましく新鮮な光景だった。しかし、ガイド嬢の懇切丁寧な
説明にも拘わらず間違うツアー客もいた。

集合時間が近づいたので私たちは長椅子から立ち上がった。
だが、一向に動く気配がないツアー仲間の高齢夫婦を見て
思わず声をかけた。「そろそろ時間ですよね」と。
すると女性はビックリした様子でこう言った。
「え!集合場所はここではないんですか?」と。
「ここは夕食時の集合場所ですよね」と答えると彼女は
大いに恐縮して何回も私に頭を下げた。



久しぶりの団体ツアーである。ガイドを見失っては大変と
私は常に夫とガイドの姿を視界に入れていたが、私たちは
いつも行列の最後部だった。全てにカメラ目線の夫のせいで
ある。おかげでガイドの説明は半分以上聞き逃してしまった。

しかし、これはと思うところは素早く先頭に出てガイドの話
に耳を傾け、また屋内の観光では早々と靴を脱ぎ、座るのが
苦手な夫のために椅子を確保した。
個人旅行では思いもよらなかった行動である。

今回の旅では全国旅行支援がついていた。夫婦合わせてT万円
のクーポンがもらえる。これは大変お得であったが、スマホに
電子クーポンを入れないと使えない。この電子クーポン収得の
ために老齢の男たちは奮闘した。
しかし、彼らの大部分はお手上げ状態でガイド嬢頼りになった
様子だ。ガイドの仕事がちょっと手薄になると、彼女はそんな
高齢男性たちに囲まれた。ついに「順番待ちだよ」などという
男性たちの声が聞こえてきた。気の毒にも彼女はガイド以外の
仕事のために殆ど休む時間がなかったようだ。



私は夫の助けを借りずに何とか自力でクーポンをチャージ
出来た。上出来だと夫は目を細めた。久しぶりに味わう小さな
優越感である。同世代とのツアーにはこんなおまけがついて
くるらしい。

旅の最終日、飛行機の大幅な遅延で家に帰れず羽田空港近くの
ホテルに宿泊するはめになった。手ごろな宿泊先を探して
くれたのは娘夫婦である。更にこのホテルも東京都の旅行支援
サービスがついていた。再びお得なクーポンをゲットである。

このホテルでのチェックインは深夜0時。チェックアウトは翌日
9時半だった。いずれも自動チェックイン、チェックアウトと
いう我々にとっての初体験が待っていた。こうして旅の締め
くくりは個人旅行の趣となった。そのせいかツアーでの3泊より
東京での1泊の方が印象深いものになった。
まだまだ自力で歩ける…などと小さな自信も生まれた。
もっとも他から受けたサポートは忘れてはいけないようだ。

            2023年7月

           (photo by y.y: 対馬・武家屋敷跡にて)


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