私の運転免許証 v5-50
このところ孫たちの運転免許習得が続いている。確かに運転免許は
若い内に、しかも時間の余裕がある学生時代に手に入れた方がいい。
しかし私の場合はそうではなかった。
当時、夫は東京で単身赴任中だった。我が家の駐車場には主がいな
くなったカローナがいつも寂しげに置かれていた。また当時同居
していた老父母にとっても車を動かせれば何かと便利であった。
そこで思い切って自動車学校に通い、若い受講生たちと机を並べる
ことにした。
当時、車の運転免許習得には年齢×1万円と言うのが相場だった。
それだと私の場合、かるく40万円は超えてしまう。生活が懸かって
いると肝に銘じた。そのせいか意外と早く仮免試験までにこぎつけた
と自負した時、何と担当教官は「受験にはまだ早い!」と言った。
しかし、私は若い教官を説得して半ば強引に受験した。
難関の坂道発進、そして縦列駐車は上手くいったが最後の停車は
停止線ギリギリに止まった。恐らく合格は微妙であったと思うが、
幸い一度でパスして担当教官を驚かせた。
路上運転の習熟には時間がかかりそうだ。
そこで夫が帰宅する度に私の運転教師役になってもらった。資格の
ない夫が助手席に座ることは違法である。知ってはいたがこの際、
無視である。早朝、近所のスーパーマーケットに出かけ、そこの
巨大な駐車場でハンドルを握った。夫をヒヤヒヤさせながらハンドル
さばきに励んだ。何しろ家計がかかっている。一度試験に落ちると、
更に数時間分のレッスン代支払が待っている。
こうして首尾よく路上試験もパスした。
いよいよ自動車学校の修了式である。当日は20人程の生徒たちが
会場に集まった。式典前に顔を出した男性職員がいきなり
「山川さんはいますか?」と叫んだ。「ハイ!」と答えると
「あ、居られればいいんです」と言って去った。
何事かと心臓をドキドキさせながら式に臨んだ。
そして意外な事実に直面した。何と私に賞状が渡されたのである。
賞状には「…優秀な成績を修められ云々…」とあった。
さらに記念品として大きなクッションまで手渡された。
帰途のバスの中である。大きな包みを抱えた私を滅多に会うこと
のない隣家のご主人が見つけてしまった。仔細を話すと彼は
大げさに祝福してくれた。私は「全て年齢のせいです」などと
言って謙遜したが実際その通りだったに違いない。
何しろ私の免許習得費用は年齢×0.5万円位で済んだのだから。
もっとも違反行為を伴った夫の協力もあったが。こうして3日後、
免許センターでの最終試験に臨み、はれて運転免許証を手にした。
実に43才の時である。
その後、私の車は老父母の買い物のお供に、また病院への送迎
などで重宝した。怪我をした娘の送迎で何回か高校へも通ったこと
もあった。しかし、一度だけ駐車違反をしてしまった。
これで自動車学校の優等生とは情けない。
失敗は多くの路上駐車の列に安心したこと、更に短時間だからと
の思いもあった。フロントガラスに貼られた非情な駐車違反の
ステッカーを見た時のショックは今でも忘れられない。あの時、
千葉西警察署で支払った罰金は確か8千円ほどだった気がする。
結構な出費だった。
小平に越してきてから数年後、ついに運転免許を返納した。先日、
久しぶりに古い免許証とあの時もらった表彰状を取り出してみた。
驚いたことに、それらは様々な懐かしい思い出を鮮明に私の脳裏
に運んできた。たかが免許証とはいえ、貴重な免許証であった。
気になるのは孫たちの真新しい運転免許証である。
彼らはこれからどんな思い出を積み重ねていくのだろう。
ワクワクドキドキしながら見守ることになりそうだ。
楽しいような心配なような複雑な心境である。
2022年9月
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