拾得物 v5-45
駅へと向かって急いでいる時だった。
ふと足元を見ると財布が落ちている。丸々と太ったカーキ色の
財布だ。こんなに人通りの多い場所でこのままにしていたら
良からぬ人が失敬してしまうかもしれない。
咄嗟に私はそれを拾い上げて交番へ急いだ。何しろ私が乗る
電車時間がせまっている。
幸いなことに交番は拾った場所のすぐ斜前と言う好立地に
あった。私は拾得物を軽く片手で握りしめたまま交番の入り口
に立っている巡査に手渡した。彼はすぐさま規定の用紙を
取り出して聞き取りを始めた。
私は交番のすぐ斜向かいの道路でこれを拾ったこと、自分の
名前などを告げて立ち去ろうとしたが、簡単にはいかなかった。
また細々と聞き取りが始まった。以前、現金(1万円)を銀行の
ATMの足元で拾って交番へ届けたことがあるが、あの時と同じ
である。
連絡先とか、謝礼はどうするかとか、おまけに内容物の現金の
チェックまで一緒にさせられてうんざりした。
私は電車の時間がないので「謝礼などいらないから」と念押し
して、さらに何かあったら連絡先へと告げ、急いで交番をあと
にした。
そして再び財布を拾った道路に戻ったとき、私は怪しげな行動
をしている一人の老婦人を目にした。彼女はうつむき加減に
道路上を行ったり来たり、はてまた自分の布袋を覗いたり
かき回したり、何やら慌てている様子だ。
ピーンとくるものがあった。私は即座に彼女に近づき
「財布をお探しですか?」と尋ねてみると、案の定彼女は
嬉しそうに顔をあげて私を見た。
私はいきさつを告げ交番へ行くようにと言うと彼女は嬉し
そうに何度も頭を下げて交番へ向かった。
忙しい時間が続いてしまった。しかし、何やら爽やかな風が
一瞬心の中を通り抜けた気がした。久しぶりに味わう小さな
充足感である。心配した電車はというと何と珍しく2分遅延
しての到着だった。恐らく私の善行へのご褒美であったか。
いいことはするものである。
2022年5月
(photo by y:y: 宮沢湖にて)
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