杖            v5-43

 ホテルの入り口付近を見て驚いた。
かなり大きめのボックスに大量の杖がぎっしりと入っている。
それは傘置きならぬ杖置きであった。これは宿泊客の持ち物
または忘れ物?あるいはホテルからの提供品だろうか。

翌日、散歩に出かける宿泊客たちを見て納得がいった。
杖を携える高齢者が実に多かった。観光地ではあまり見かけ
ない光景である。さすがここは湯治をアピールしているホテル
だけあった。



ホテルの背後には長野県の県宝となっている文殊堂があるが、
そこへ行くにはなだらかな山道を30分ほど歩かないといけない。
その道を杖を頼りにゆっくりと足を運ぶ高齢者が結構いる。
また、車の少ない舗装道路をのんびりと歩く湯治客もいた。
ここでは高齢者が温泉街の風景を変えているようだ。
そして他の温泉地でも次第にその傾向が強くなるのでは。
何しろ元気な高齢者、元気を取り戻そうとする高齢者が
増えているのだから。

杖と言えば山歩き以外には使用したことがない私だが、
同年代の友人の中には、かなり前から杖に関心を示して
いる者がいた。ある友人は「杖を買う時は思いきりお洒落な
物にするわ」などと言っていた。その友人が杖を購入したと
知った時、私は彼女に杖の使い勝手を尋ねたことがある。彼女は
「杖って扱い方、結構難しいわよ」などと言っていた。



最近、彼女と電話で話す機会があった。その時、その後の杖との
付き合いを聞いてみたら、彼女は「あっ、杖ね。使ってないわよ。
却って面倒くさいわよ、杖があると」などと言う。
彼女の杖には一度もお目にかかれなかったが、杖はとっくに
御用済みとなったらしい。しかし、彼女の腰痛は相変わらずらしく
「歩く時は前かがみですっかりおばあちゃんよ」などと
自嘲気味に言う。

杖を頼りに歩く自分の姿は想像し難い。もしそんな時が来たら、
背筋を伸ばし前を向き、爽やかに足を繰り出すことにしよう。
おっとこれが出来たら杖など無用だと言われそうだ。
杖はあくまで歩行のサポート具である。杖の有難さを知らない
私に杖云々について語る資格などなさそうだ。出来ることなら
そんな知識は無知のまま一生を終わりたいものである。

               2022年3月


            (photo by y.y:鹿教湯温泉にて)

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