もう来なくていいよ  v5-40

 何事も先送りできない年齢になった。年の瀬になるとそのこと
がいよいよもって身に染みてくる。そこで思い切って今まで最も
敬遠していた肛門科、痔専門の医院に行くことにした。

恐る恐るドアを開けた院内は驚くほど殺風景であった。受付の
仕切りは安物のビニール製、狭い待合室には貧弱な椅子に腰を
下ろす患者が6,7人いた。空いた2,3個の折りたたみ椅子には
ドーナツ型のクッションが置かれている。



初めて会う院長は想像通りかなりの高齢だった。しかし、立派な
前歴にも拘わらず気さくで親しみやすい人柄がすぐに伝わってきた。
緊張気味の私に向き合うと彼は言った。
「どうされました?あ、そう。初めてですね。じゃあ診ようかね。
ふ〜ん、これは手術した方がいいね。それとも注射いくつか打って
処理する方法もあるけどねぇ、治すまで時間がかかるよ。
手術の方が早いねぇ。手術は20分で終わる。麻酔かけるから痛く
ないし3日ぐらい我慢すれば、あとは良くなる一方。どうする?
手術する?」と決断を促してくる。

一瞬ためらった私も医師の助言に従った。医師は「じゃ、そうしよう。
荷物を持って隣の部屋のベッドに移動して」と言う。
「え!? あの、今、手術するんですか?」と慌てる私に医師は
「そうだよ、すぐに終わるからね」と事も無げに言った。



仕切りがカーテンだけの隣の部屋で私は狭いベッドに横たわり短い
手術を受けた。言われた通り痛くはなかったが、その日は満を
持して医院からタクシーで帰宅した。そして翌日、術後観察の
ためバスで通院、さらに1週間後、3回目の診察となった。

医師は私の顔を見ると大きな声で言った。
「どう?痛みとれた?出てくる感じする?」
「痛みは大分取れました。え?出てくる感じ?!良くわかりません」
「ふん、ふん、大分いいね。もう来なくていいよ。
温泉行ってもいいよ。誰も知らないんだから。何度でも風呂に入って
いいから。お薬は良くても2週間はちゃんと使わないと駄目だよ、
もし何かあったらいつでも来なさい」

突然「もうこなくていいよ」と言われて嬉しさよりも戸惑いが
先にやってきた。患者としては最高の言葉なのに何故だろう。
あの老医師との出会いにいきなり終止符が打たれたせいだろうか。
折角“シリアイ”になれた先生なのに。
(今年最後のエッセイはこのような尾籠なお話となりました。お許し下さいませ)

             2021年12月
          
(photo by y.y:小金井公園にて)



 top  y.y.corner f. salon  essay old