悪戯わらし     v5-37

 洗面所の片隅にいつも輪ゴムをいくつか置いている。Tシャツの
洗濯時に使うためである。この輪ゴムでTシャツの首元を二巻き
ほどして洗うと、干し終わったあと、首回りがパリッとして
気持ちがいい。その輪ゴムがいつの間にか何処かへ消えて
しまった。輪ゴムをひっかけていた「洗濯バサミ」もろとも
見当たらない。

そこでこの家のもう一人の住民、夫に尋ねてみると、そっけなく
「僕が知っているわけないでしょ!」と言われてしまった。
この輪ゴムの存在すら気づいていなかった様子だ。こうなると
怪しいのは私である。無意識のうちにゴミ箱行きになって
しまったか。



冷蔵庫から残り物のサバの焼き魚を取り出した。何と皿を
覆っていたはずのラップが見当たらない。魚はむき出しのまま
皴しわになって現れた。納得できず庫内の隅々まで目を凝らして
みたもののラップの一片も見当たらない。ラップは何処かへ
失せてしまった。これも単なる私の不注意だろうか。

台所で忙しなく朝食の準備をしている時だった。手伝って
くれていた夫が突然言った。
「僕が味噌汁をこぼしたと言って今、笑ったでしょ!」と。
「ええっ!?」と私はビックリ仰天した。この時、私は一言も
発していなかった。第一、みそ汁をこぼしたことすら知らない。
「何も言ってない!」と強く主張する私に相手は頑として
応じない。互いに「言った!」「言わない!」が続く。



こういう時は「空耳」などという便利な言葉があった。
「多分、空耳だったのよ」と私は会話に終止符を打つつもりで
言ってみた。しかし、心中のザワザワは消えない。

いつも何かを探している。最近、探している物は菜箸である。
あの長い箸が所定の置き場所にないとは考えられない。
方々探してみたが未だに行方知れずだ。
いろいろと不思議な現象が起こるようになった。もしかしたら
我が家には「座敷わらし」ならぬ「悪戯わらし」が住み着いて
いるかもしれない。そんな「わらし」と、この先ずっと
同居すると思うと気が重い。いっそのこと、この同居人?と
仲良しになってしまえばいいかもしれない。
しかし、そんな日はまだずっと後でいい。当分は
「あれ何処へいった?」「言った!」「言わない!」などと
騒々しい会話を繰り返す日常の方がずっといいと思っている。

                   2021年9月


  
        (photo by y.y:小平中央公園にて)



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