想い出 v5-28
久しぶりに紅葉が見頃の京都へ行った。
長年の郷愁に誘われて、まず最初に訪れたのは若い頃、下宿して
いた山科である。通学に使っていた京阪山科駅はJRと地下鉄に
連絡する便利な駅となっていた。駅前にはスターバックスや、
書店や洒落たカフェなどが並び、索漠とした昔の駅前広場は
すっかり姿を消していた。半世紀以上も過ぎた昔と同じはずは
なかった。
ここから南へ5,6分も歩くと当時の下宿先が現れるはずだが
行かなかった。昔の家屋はかなり前に消滅していると旧友から
聞いていたからである。そこで私は駅から北へ向かった。
行き先は疎水、歩いて5・6分の処にある。
(南禅寺)
ここは下宿仲間の人気の場所だった。
疎水に沿った遊歩道は車道から遮断され、民家もなく、春に
なると多くの桜の木々や菜の花が川沿いを彩った。
確か夏には蛍が飛び交うこともあったはずだ。そんな川沿いの
ベンチで友人たちと騒がしくまた密やかに会話を楽しんだはず
だが、会話を盛り上げたトピックは何だったのか思い出せない。
疎水に近づいてみると桜の木々はみな逞しい大木に成長していた。
しかし水辺には強固な護岸工事が施され、コンクリートの立派な
橋まで出来ていた。民家も疎水に近づき、何と疎水を挟んで
府立洛東高校の立派な校舎とグランドが出来ていた。
川の流れは昔と変わらないはずなのに何故かここは初めて見る
疎水であった。
(詩仙堂)
ここから更に北に向かって10分ほど歩くと毘沙門堂が現れる。
仁王門前の参道は既に散り紅葉“でほぼ全面が真っ赤に
染まっていた。さらに奥まった朱色の弁天堂は真っ赤なモミジの
葉で覆いつくされている。まるで極彩色の絵を眺めているようだ。
ぼんやりした私の記憶ではとても思い出せない光景である。
恐らくここも私にとっては初めての場所だった。
長い時間が流れてしまった。
そして今もその時間の流れは絶えることなく続いている。
こうして思い出は時間を束ねながら変遷を続けるのだろう。しかし、
時間に逆らっている思い出もあるようだ。
目を閉じれば、いつだって変わらぬ優しい表情でやってくるもの
がある。手に取り触れることはもう出来なくなってしまったが。
2020年12月
(photo by y.y:京都にて)
top y.y.corner f. salon essay old