気になる人       v5-27
 
 旅に出るとちょっと気になる人に出くわすものである。
今回、一緒に旅をした友人が目にとめたのが杖を持った70代と
思われる女性であった。ホテルの送迎バスの運転手が
「足の悪い人がいますので最前列の席を空けて下さい」と
同乗者に呼びかけたので分かった。

杖の彼女は行楽地へ出かける時はいつも最前列の特等席に
夫と共におさまった。しかし、驚いたことにホテルの食事会場
ではいつも彼女から杖は消えていた。
何とお盆の上に二人分の湯飲みを載せてそろそろと歩いていた。
友人は素早くそれを見つけ、いまいまし気に言った。
「足が痛いなんて嘘よ、膝がちゃんと屈伸できているでしょ!」



その後も、友人は行楽地で目ざとく彼女を見つけると
「見て!杖は持っていないでしょ、ちゃんと歩いているわよ」
と言う。好意的に考えると彼女は杖初心者かもしれない。
しかし、脚の不調で苦しんでいる友人にとっては許せないらしい。
“正直者は損をする”と盛んに言う。しかし、当の本人は決して
杖を持参したいとは言わない。自尊心が許さないのだろうか。

私が注目したのはバスの中、私たちの背後に座った男女の会話で
ある。隣に座る友人の声も大きいが、それに負けじと背後の
会話が耳に飛び込んでくる。女性の弾んだ声が言う。
「あらっ地域クーポンがあるの?え!そんなに!」
「そうだよ」とはトーンを落とした男性の声だ。



車窓から黄色に染まった木々が容赦なく飛び込んでくると
「あれは銀杏かしら?いや違うわね。葉の形が」と言う女性に
「あれは栃の木の葉だよ」と男性が答える。
「ではあの真っ赤なのは?」「あれはどうだんツツジだね」。
二人の会話は近々始まる相撲の話に移った。
女性の方は力士には詳しい様子だ。

好んでもいないのに勝手に耳に飛び込んでくるのも盗み聞き
というのだろうか。最もちょっとした好奇心もある。
彼らの会話から咄嗟にこのカップルは夫婦ではないと気づいた
からである。バスを降りた時、さりげなく二人に目を走らせると
60代前後と思える男女だった。

それにしても他人事ではなさそうだ。何しろ大声で話す白髪の
女性と耳元でこそこそ話す高齢の2人組である。バスを降りた時、
チラッと刺さった視線がいくつかあった。恐らく私たちこそ
「気になる人」になっていたかもしれない。

             2020年11月

               (photo by k.y :鳴子峡にて)

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