登る?下る?        V5-24

 最近、心に響いた文章があった。7月の朝日新聞、“声”欄の
投書である。投書のタイトルは「人生は登るばかり下山はない」
というものだった。投稿者は何と96才の男性である。簡潔明瞭、
力強い文章はとても96才とは思えない。

彼は良く人生は山登りに例えられるが、登頂してピークを迎え、
そこからゆっくり老化を伴いながら下山するという一連の人生の
捉え方には同意したくないと言っている。彼は登頂そのものが
人生の目標だと考えたいと言うのである。

勿論、登頂の仕方も登頂の山も、その時々の状況によって変わる。
時間がかかってもいい、最後まで全力を尽くし登頂への努力を
続けたいと言う。そんな彼は今、どんな山を登っているのだろう。



この投書を読んで10日後に再び“声”欄に投書が載った。
今度は81才の男性である。彼は先日の96才・男性の投書を読んで
全く同感、意を強くしたと言った。彼もまた人生を最後まで登山
の途中だと考える一人である。

年を重ねると老化が進み未知の体験に戸惑うことが多くなる。
そんな時、彼は諦めて安全な下山道を探すより自分に会った登攀
ルートを見つけ上を向く努力をしたいというのである。彼は今、
一度挫折した尺八と胡弓に再チャレンジしているそうだ。

この二人のパワフルで前向きな思考には圧倒されるが、私の周り
にも彼らに劣らぬパワーで登り続けている80代の友人がいる。
いくつもの大病にさいなまれながらまだ上を向く彼の気力活力は
どこから来るのだろう。恐らく彼らの背景には健全、安穏な日常
があり、豊富な経験に基づく確固たる意志の蓄積があるに違いない。



さて自分に置き換えてみる。
ちょっと気が引けるが私は今、下山道でうろうろしているようだ。
何しろ下山道とはいえ油断がならない。登りより下山の方が危険に
満ちていることは登山をする人は皆、知っている。
安全で快適な着地点探しは容易ではないのである。だが下山道には
思わぬ発見がある。気付かなかった可愛い草花、小鳥のさえずり、
そして目を見張るような遠景等々である。
そんな「下山道探しも満更捨てがたいよ」などと言ってみたいが、
前述の高齢者たちの耳には届かないことだろう。
              2020年8月


          (photo by y.y:白神山地にて)

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