電車の中で   v5-22
 
 先日、久しぶりに電車に乗った。日中だったせいか、あるいは
まだ自粛生活が続いているせいか車内は空いていた。
皆、一人置きに座っている。ドア付近に立っている人もいたが、
誰も空いている席に入り込む人はいなかった。

皆、三密が怖いのだ。私も夫と席を一人分あけて座った。
車中の人たちに見習った格好だ。皆、見事に一人分の空白を
保って座っている。この珍しくも美しい光景を乱したくなかった。
しかし、その思いは次の駅であっさり打ち破られてしまった。
何と若い男性が足早にやってきて私と夫の間に平然と腰を下ろした。



外出時に欠かせなくなったのがマスクである。
そのマスクは蒸し暑い雨期になっても外せない。専門家は人混み
でなければマスクを外していいと言うが電車内ではそうはいかない。
たとえ空いた車両と言えどもマスクを外した人には近寄りたく
ないし、さらにマスクなしでは大衆の目が怖い。

先日、電車に乗っていたら、40代と見える女性が乗り込んできて
私の斜め前に座った。さりげなく彼女に目をやると何とマスクを
していない。隣に座っている高齢男性は熱心に文庫本に目を落と
しているせいか隣の女性には気付かない様子だ。



そんな彼女に私は時々視線を送った。
何故、マスクをしないのだろう。忘れてしまったのか、あるいは
単なる自分勝手、公衆道徳欠如の女性にすぎないのか…などと
思いをめぐらした。二駅ほど過ぎた頃だった。彼女はおもむろに
布製のバッグに手を入れた。何かを取り出した模様だ。
よく見ると何とマスクだった。その白いマスクを彼女はさりげなく
つけると手元にあったスマホを覗き込んだ。持っているなら早く
つければいいのに。私は再び心の内で非難した。

とは言え電車を降りてから思わず苦笑した。
世間の目が怖いと言いながら私も世間の目の一役を担っていた
らしい。彼女は射るような視線に耐えられずついにマスクに手が
伸びたに違いない。“目は口ほどにものをいう“というのはどうも
真実を言い当てているようだ。
             2020年6月
                 
 
         
(photo by k.y:昭和記念公園にて)

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