同じ文言       v5-13

 新しい年になった。日記帳も新しいページに戻る。
というのも5年日記なので再び最初のページを開くことになる。
2020年1月1日。早速一日遅れの出来事を思い出して記録する。
そんないつもの習慣でペンを走らせていて仰天してしまった。
 ・・・始発電車5:17に乗って湯島天神へ。いつもの通り
絵馬とお札を買う。名前入れに時間がかかる。8時過ぎに帰宅。
そしてお雑煮の朝食・・・・
 これは2019年元旦の書き出し部分である。
ちなみに2018年元旦も全く同じ文であった。そして私はまた
同じ文章を今年も書いた。まるで毎年前年の文章をコピーした
ようでなんだか気持ちが悪い。



 ただ少しだけ違う点があるとすれば、今年はめめちゃんの
分が加わり絵馬とお札の購入が2倍になった。それに昨年と
比べて雲が多かったせいか車中、ビルの隙間から垣間見た
初日の出が今年は見られなかった。
また御徒町の駅に着いた時、出口がいつもとは違ったせいか
目的地へのルートの確認に少し手間取ってしまった。
 一年に一度くらいしか出かけない神社である。
道順の記憶が曖昧になってしまうのも無理もないことだが、
それにしても・・・の気持ちを拭い去ることが出来ない。
こうして少しずつ記憶のストックが希薄になり、やがて
消え去ってしまうのだろうか。



 その前に何よりも自力で歩ける歩行力の方が問題である。
来年も二人の孫たちの受験がある。そして最終は、恐らく
3年後ののんちゃんの受験であろう。そうなると1月1日の
私の日記には全く同じ文言があと2回は並ぶこととなる。
 そんな文言に出会い驚嘆している内に、それはやがて
深い安堵感に変わっていくことだろう。これはもしかしたら
孫たちが与えてくれたりっぱなモチベーションになって
いるかもしれない。結局私たちも、なんだか試されている
気がしてきた。
体力と気力に鞭打って、さていつまで神社の急な階段を
昇降することができるだろうか。
               2020年1月
      
       (photo by k.y:湯島天神にて)

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