ケセラセラ     v5-77 

 久しぶりに友人・Bさんに会うことになった。
Bさんとは中学時代の同級生、幼馴染である。彼女は昨年
11月に室内で転んで左手首を骨折して手術など大変な思い
をした。そのため、約束していた出会いも延期となり
ようやく最近になって彼女と落ち合う約束ができた。

高齢者同士で落ち合うためには場所選びが大変である。
特に彼女の場合は骨折以来、左手、左腕が思うように動か
せなくなったと聞いている。だがバスの乗り降りは大丈夫
だというので、落ち合う場所は彼女の自宅からバスで乗り
換えなしで行ける錦糸町駅ビルの5階、レストラン街とした。



私は国分寺駅から中央線に乗り、御茶ノ水駅で総武線に乗り
換え、一時間ほどかけて待ち合わせ場所に出かけて行った。
動ける者が動かないと高齢者には出会いのチャンスは
なかなか巡ってこない。
約束の場所に着くと、彼女は小振りのベンチにポツンと腰を
下ろしていた。だが余りにも痩せているので一瞬、我が目を
疑った。しかし、まぎれもなく1年ぶりに会うBさんだった。
だが何と彼女は片目に眼帯をしていた。今度は目である。

「目はどうしたの?」と開口一番尋ねると、彼女は潔く眼帯
を外して「転んだのよ」と言う。また室内で転んだらしい。
額の擦り傷とどす黒い瞼の腫れが直視出来ないほど痛々しい。
「額の傷は髪の毛で隠れるからいいけど、瞼の腫れは
醜くて…眼帯でごまかしてきたの。
でも片目だと歩きづらくて…サングラスは度が入って
いなくて使い物にならないし…困るわね」と言う。



彼女が良く転ぶのはきっと筋力の低下、平衡感覚の欠如
からきているに違いない。もしかしたら最初の転倒時に
痛めた左手首が大いに関係しているかもしれない。
彼女は「指先も今までのようには動かないの」と嘆く。
左手とはいえ手先の器用だった彼女にとってはさぞ辛い
状況だろう。

長く生きていると様々な事象が身に降りかかってくる
ものだ。五体満足のまま生まれても、それを維持したまま
一生を終えることなど不可能に違いない。それにしても
家事は大変そうだ。だが彼女は「大丈夫よ、夫もそこそこ
手伝うようになったし、出来合いを買ったりして何とか
やっているから」などと気にしてない様子だ。
ゆっくりとした時間の流れが老人夫婦の生活を助けて
くれているようだ。

それにしても、これ以上の災難が降りかからないようにと
私は、慣れない眼帯を外し今まで通り度の入った眼鏡を
かけた方がいいと彼女に言った。すると彼女は
「そうよね、体裁より自分の身体が一番だよね」とさっさと
眼帯を取り払い眼鏡をかけた。

別れ際、バス停まで連れ添って歩こうとする私に、彼女は
「食材買っていくから」と笑顔を見せて反対方向に足を
向けた。彼女の丸い背中がゆっくりと群衆の中に消えて
いった。そんな後ろ姿を見て私は少し心が軽くなった。
彼女の好きなセリフ「ケセラセラ!」を思い出したのである。

            2024年10月
         (photo by y.y:谷川岳周辺にて…2021年)

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