人形あれこれ V5-55
上等な場所に飾るのが私の習慣となった。いずれも友人たちから
贈られた人形である。それらは心のこもった手作り作品であったり、
懐かしい異国情緒に満ちていたりする。時が経つにつれて増々愛着
が沸くようになった人形たちには、人知れず魂が入り込む不思議な
空間があるようだ。しかし、全ての人形がそうだとは言えない。
昔、神戸を訪れた時である。
そこの異人館街で衝動的に人形を買ってしまった。軽くカールした
金髪の童顔にフリルが沢山入ったドレスを身に着け、横にすると目
を閉じ、立てるとぱっちり大きな目が開く30センチほどの愛らしい
人形だった。しかし、家に持ち帰ると飾る場所が見つからない。
部屋の片隅に置いたまま暫く時が過ぎたが、引っ越し時に遂に処分
してしまった。処分には気が咎めたが
“楽しませてくれてありがとう!”などと人形の包にメモを入れて
廃棄場所に置いてきた。
人形の扱いは厄介である。
昔、高山に旅行した折、名物の“さるぼぼ”と呼ばれる人形を子供
たちに買ってきたことがある。これを長女は手にするのを嫌がった。
顔が“のっぺらぼう”なのが気持ち悪いというのである。
顔に目鼻口が無いのは、人々の喜びや悲しみを好きなように受け
止めてくれるようにとの願いが込められているらしい。だが、
見る人によっては“恐い!気持ち悪い!”の感情の方が先にやって
来るようだ。それ以来、私は旅先で“さるぼぼ”を見ても見向きしな
くなった。人形の類は土産には向かないようだ。
ましては他人に人形を贈るのは気を付けた方が良さそうだ。
編み物や手芸の教師を長年続けてきた友人の話を思い出した。
彼女は手作りのお内裏様を孫娘4人にあげようとしたが、全員から
やんわり断られてしまったそうだ。彼女のことだからさぞや上等な
人形だったに違いない。やんわりと断られたと彼女が言ったが、どの
ような文言だったのだろう。彼女の落胆ぶりが目に見えるようだ。
とはいえ、自分の価値観で無暗に他人に物をあげてはいけないと肝
に命じることにしよう。たとえ相手が孫であっても。
しかし、同じ孫を持つ身としては切ないお話である。
2023年2月
(photo by y.y:郷土の森・府中にて)
top y.y.corner f. salon essay old