行きずりの人 V5-08
人の顔を覚えるのが得意だと最近気づいた。
一度言葉を交わした人はめったに忘れない。もっともそれは顔
かたちのことで名前はすぐに忘れる。TVのコマーシャルなどを
見ている時も、あの俳優は朝ドラに出ていたとか、あの脇役の
人は他のドラマでもやはりちょい役だったなどと素早く判明で
きる。勿論、俳優の名前などは論外である。
街中で良く行き交う人たちも、割とすぐに記憶に残してしまう
たちのようだ。久しぶりに訪れた眼科医院である。そこで私は
ジムの浴室や脱衣室でよく見かける顔に出くわした。その彼女が
偶然、私の隣に腰を下ろしたので思わず声をかけてしまった。
「こんにちは、時々ジムでお見掛けしますよね」と言うと彼女は
驚いたように私を見て言った。
「すみません、お顔を覚えにくいたちなので…」と。同世代に
見えるし、また同じジムに通う者同士という親近感を覚えてか話が
弾んだ。別れる時は互いに名前まで交換していた。
それから二日後、ジムの更衣室で再び彼女を見つけた。
彼女の背後から「こんにちは△△さん、ヤマカワです」というと
彼女は振り返り「あらっ、先日はどうも、今からお風呂?」と聞く
ので「はい、これから」と言って別れた。
そしてまた数日後、ジムの浴室の化粧室で彼女を見掛けた。
彼女はプール仲間と思える女性たちと顔を寄せ合って雑談して
いた。声掛けするのをためらうような状況だった。彼女も話に
夢中になっていたせいか私には目もくれなかった。
それからも時々、ジムの浴室や更衣室で彼女を見掛けた。
当然、彼女も私に気づくはずだと思ったが、そんな様子もなく、
私もあえて彼女と言葉を交わさなかった。今まで一度も彼女の
方から声がかからないのは不満だった。大して広くもない
浴室や更衣室なのに。
もしかしたら彼女は私の顔も名前も忘れてしまったかも
しれない。「私は人のお顔を覚えるのは苦手で」と初めて会った
時に彼女が言った言葉を思い出した。恐らく彼女にとって私は
行きずりの人にちがいない。そして私も彼女は行きずりの人で
あった。こんな出会いもあることを忘れてはいけないようだ。
人の顔を覚えやすい性格も案外厄介で面倒なことである。
2019年10月
(photo by y.y:栂池自然園にて)
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